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65歳・接客未経験の元自動車会社エンジニアが、EXPO2025大阪・関西万博パビリオンで働いてわかったこと ①概要編

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私は、1970年10歳のときに大阪万博へ行きました。
アメリカ館で見た「月の石」は、子ども心に強烈な印象で「万博ってすごい」と純粋に感動しました。

それから半世紀以上が経ち、65歳になった私は、EXPO2025大阪・関西万博のパビリオンで働くことができました。

子どもの頃は、“見る側”として感動した万博。
それが、お客様を“迎える側”として万博の中にいる
——。
初めて出勤した日、会場に立ったときの感動は、言葉にしきれないものがありました。

このブログでは、私が全国通訳案内士の資格を取得して、EXPO2025大阪・関西万博の現場で働いてみてわかったリアルを、これから大規模イベントにチャレンジしてみたい同年代の方に向けてお伝えしていきます。

※本記事は個人の体験と感想に基づくものであり、公式見解ではありません。守秘義務および関係者への配慮から一部表現を加工しています。あらかじめご了承ください。

なぜ65歳で万博の仕事に挑戦したのか

実は、私が2015年に全国通訳案内士試験の受験を決意したきっかけの一つが、この万博でした。当時は、「定年後に、何かの形で万博に関われたらいいな」という、まだ漠然とした思いに過ぎませんでした。

しかし、実際に資格に合格したとき、「この資格があれば、本当に実現できるかもしれない」
そう思うようになりました。

インバウンドの添乗や通訳の仕事にも大きなやりがいはありますが、万博のような国際的な大規模イベントで働くことは、通訳者としてのキャリアを一段引き上げてくれるはず!

接客業もイベントの仕事も未経験、年齢的な不安も正直ありましたが、「ここで躊躇したら、一生後悔する」そう思い、実は家族や友人・知人にも相談せず、応募しました。

その結果、「万博で働いている」という事実を、家族や親はとても喜んでくれました。
友人や知人も会場に足を運んでくれ、本当に挑戦してよかったと心から思っています。

私の簡単な自己紹介

1960年生まれ、三重県在住。
大学で機械工学を学び、卒業後は三菱自動車で約37年間、生産技術エンジニアとして勤務しました。

海外留学や駐在の経験はありませんが、定年後「好きなことを仕事にしたい」と思い、50代から英語学習を本格的に再開。
コロナ禍で辛い時期もありましたが、2023年に全国通訳案内士試験に合格し、現在はインバウンドツアーの添乗、通訳ガイド、工場の研修生通訳などを行っています。

そして2025年、65歳でEXPO2025大阪・関西万博に挑戦し、約30カ国が関わるパビリオンのサブスーパーバイザーとして勤務しました。

接客業もイベント業界も未経験の状態からの挑戦でしたが、会社員時代に培った「組織で働く力」や「全体最適の視点」等の管理職としてのスキルが役立ったと感じています。

趣味はクルマ、バイク、そしてお酒。夢は、好きな分野で通訳の仕事を続けながら、楽しく・誇りを持って一生現役で働くことです。

万博のパビリオンは、どんな職場だったのか

万博のパビリオンと聞くと、華やかで非日常的なイメージを持たれる方も多いと思います。
しかし、実際に中で働いてみると、そこは半年間だけ存在する、非常に特殊な「職場」でした。

会社組織とは違う、かといって短期イベントほどの一過性組織でもない。
多様なバックグラウンドを持つ人たちが集まり、日々で滞りなく現場運営することが求められる現場でした。

約30カ国が集まる共同パビリオン館

私が勤務した共同パビリオンは、各国1展示ブースとプロモーションスペース、そして共有のイベントスペースで構成されており、各国の趣向を凝らしたデザインや自国を象徴する展示が特徴でした。
プロモーションスペースでは特産品の販売や試食・試飲も行われ、複数国と直接コミュニケーションできる点が特に人気でした。

出展国はアフリカ、中南米、太平洋州から中央アジアまで多岐にわたり、文化や価値観、仕事観もさまざまでした。
一つのパビリオンに多国籍・多文化が共存する環境のため、日常的にその違いに向き合いながら、来場者対応や突発的なトラブルに対応する必要があり、英語力に加えて高いコミュニケーション力と調整力が求められる職場でした。

パビリオン内の現場組織と運営体制

私が勤務したパビリオンでは、約50名規模のメンバーが役割分担のもと、シフト制で運営されていました。
限られた期間の中で安定した運営を行うため、担当と役割が決められ、それぞの立場で協力して業務を行っていました。

スーパーバイザー・アテンダントスタッフ・事務局の構成と役割

  1. スーパーバイザー(1名)
    パビリオン全体の運営を統括し、現場における最終判断を担う責任者
  2. サブスーパーバイザー SS(3名)
    スーパーバイザーを補佐し、現場対応やアテンダントスタッフ・参加国との調整、来場者とのトラブル対応などを担当
  3. チーフアテンダントスタッフ(3名)
    アテンドスタッフのフォロー・来場者対応、スーパーバイザーとの調整を担当
  4. アテンドスタッフ(約40名)
    来場者対応、展示案内や誘導など、パビリオン運営、接客の最前線を担当
  5. 事務局(3名)
    参加国や関係各所との連絡調整、各種事務手続きなど、裏方業務を担当

今回の万博パビリオンの運営体制について

今回の万博パビリオンの運営は、複数の組織が関わる、いわゆるジョイントベンチャー(JV)型の体制でした。

展示の企画と全体統括を担うイベント会社、パビリオンの設計・施工を担当する建設会社、現場の管理運営およびスーパーバイザー陣を派遣する管理会社、そしてスタッフ派遣を担う人材派遣会社が、それぞれの役割を分担して運営に携わっていました。

大手広告代理店が一括で請け負うケースも多い中で、今回のようなJV体制は、短期間で多くの人員を集め、大規模な現場を回すという点では合理的な仕組みだと思いました。

一方で、多様な人材が十分にチームワークを築く間もなく、シフト制で入れ替わりながら勤務するという特性上、現場のスーパーバイザー陣とスタッフ間、またはスタッフ同士での意見の相違や認識のズレが生じることもあり、管理側とのコミュニケーションを含めた課題を感じる場面もありました。

毎日メンバーが入れ替わるシフト制の現場

前述のとおり、パビリオンの日々の現場は約50人で運営されていましたが、万博は開催期間中に休日がないため、約150人の登録メンバーが早番・遅番(⼀部中番)によるシフト制で勤務していました。

一般的な会社組織では、固定メンバーで仕事を進めることがほとんどですが、万博の現場では、日々異なるメンバーで即席のチームを組み、その日その日を完璧に運営することが求められました。

情報共有と引き継ぎが生命線

そんな日々異なるメンバーで即席のチームを組んで動く現場では、情報共有と引き継ぎが、パビリオン運営の鍵でした。

前のシフトで何が起き、何が、どのように変更されたのか。
そして、自分の担当シフトで必ず実施すべきことは何か。
こうした情報が正確に共有され、引き継がれないと、現場は必ず混乱します。

その点について、管理会社も現場メンバーも十分に認識し注意していましたが、「言ったつもり」「聞いたつもり」で、防げたはずのトラブルが起こったり、対応が遅れ、”いざこざ”になる場面もありました。

一方で、情報共有と引き継ぎが正確に行われれば、メンバーが日替わりであっても現場が混乱することはなく、来場者にも参加国にも満足してもらえる対応ができると確信しました。

期間限定組織ならではの難しさ

万博のパビリオンは、半年間という明確な期限を持つ期間限定の組織です。
国際会議のような短期イベントでもなく、会社のように長期運営を前提とした組織でもないため、仕事の進め方には独特の難しさがありました。

前職の会社では、「責任と権限」が明確に定義され、その共通認識のもとで仕事が進んでいました。
一方、短期プロジェクトであれば、管理会社の判断や個人の経験・力量によって、一気に物事を進める方法もあるでしょう。

しかし、今回のような半年限定の組織ではそうはいかず、特にスーパーバイザー以上の判断や采配がシフトごとに異なることで混乱を招いたり、自分のやり方に固執したり、権限を強く主張したり、逆に指示待ちの傾向のメンバーが出てくることもありました。

こうした難しさへの対応で必要だったのは、白黒をはっきりさせることよりも、お互いに「割り切って前に進むこと」だったと思います。
全員が納得する完璧な答えを求めるのではなく、「お客様視点でのベスト」と「運営を止めないこと」を基準に考え、行動すること。

それこそが、この現場における最大のキーポイントだったと感じています。

万博の共同パビリオンで働いてみて、あらためて思ったこと

ここまで、EXPO2025大阪・関西万博の共同パビリオンの現場が、どのような体制で、どんなメンバーによって運営されていたのかをお伝えしてきました。

多くの来場者で賑わったパビリオンは、毎日がお祭りのような華やかさでしたが、来場者を出迎える側の現場は、決して「楽しい」だけの場所ではありませんでした。

多種多様な参加国、そして企業文化の異なるJV会社のもとで働くこと。
そこは、業務そのものに加えて、経験値や価値観の異なる人同士でのコミュニケーションなど、会社員時代には経験したことのない苦労が数多くありました。

それでも、振り返ってみると――
「大変だった」という気持ち以上に、
「やってよかった」「挑戦して本当によかった」というのが本音です。

万博という大規模イベントに「創る側」として参加できた喜び

1970年の大阪万博は、小学校4年生だった私にとって、ただ純粋に「見るもの」でした。
それから55年の時を経て、今度は来場者を迎え、現場を支える「創る側」として、その場に立っている――
この事実自体が、喜びでした。

しかし、実際の仕事は、決して目立つものではなく、言わば裏方と雑用(笑)です。
それでも、パビリオンを運営するためには欠かせない役割であり「紛れもなく自分は“創る側”の一員なんだ」と、内心ひとりで感激していました。

この経験は、私の人生の中で、後にも先にも間違いなく特別なものだと思います。

お客様とダイレクトに接する仕事のやりがい

裏方とはいえ、パビリオンではアテンダントスタッフと共に、来場者に直接対応しなければなりません。

会社員時代は工場勤務であったため、お客様対応は営業の仕事で、いわゆる「接客」の仕事は、ほとんど初めての経験でした。

良かれと思って発した言葉や行動が、お客様に不快な思いをさせてしまったこともあります。一方で、自分の説明に耳を傾け、驚いた表情を見せてくれるお客様。
そして「ありがとう」の一言が本当に心に沁みました。

自分の対応や一言、表情ひとつで、そのパビリオン、ひいては万博全体の印象が良くも悪くもなる。そんな責任とやりがいを感じる仕事でした。

自分と異なる経歴と価値観の人と働くことによる視野の広がり

現場には、年齢も職歴も価値観も、本当にさまざまな人が集まっていました。
時には、その言動に絶句したり、「なぜそう考える?」と戸惑う場面もありました。

一方で、私の知らない国々や世界情勢について、実際にその国を訪れ、体験してきた人たちの話は、まさに目から鱗で、とても新鮮でした。
自分がこれまで「当たり前」だと思ってきたことが、決して当たり前ではないということ。
それは「良い・悪い」ではなく、「違い」であり「個性」なのだと思えるようになりました。

こうした経験は、会社員として働いているだけでは、まずできなかったと思います。
多様な価値観に触れ、見聞を広げることができたことで、私自身の考え方や視野は確実に広がったと感じています。
これもまた、万博で得た大きな財産の一つだと思います。

まとめ

このブログ①【概要編】では、
「万博のパビリオンって、実際どんな職場なのか?」という疑問に対して、
私なりに、できるだけリアルな姿をお伝えしてきました。

そして次のブログ②【アドバイス編】では、私自身の失敗や試行錯誤を踏まえながら、

  1. 期間限定の大規模イベントで働く際のマインドセットと立ち振る舞い
  2. 高齢・未経験でも一目置かれる働き方と心構え
  3. 健康管理と、仕事とプライベートを無理なく楽しむコツ

を、できるだけ具体的にお伝えしていきたいと思います。

2026年には愛知でアジア競技大会、2027年には横浜国際園芸博覧会が予定されており、今後このような大規模イベントが各地で開催されると思われます。「そんな大規模イベントにチャレンジしてみたい」
そう思っている同年代の方にとって、この記事が少しでもヒントになれば幸いです。

「65歳・接客未経験の自動車会社エンジニアが、EXPO2025大阪・関西万博のパビリオンで働いてわかったリアル」でした。

ご参考

三菱自動車を定年退職後、50代で万博通訳に。半年間、29カ国を支えた男性が語る“想定外の舞台裏”。

ABOUT ME
safuranプロフ
Atsushi
1960年生まれ三重県在住。 大学工学部卒業後、自動車車体メーカーに生産技術エンジニアとして37年勤務。 50代から真剣に英語を勉強して国家資格の全国通訳案内士の資格を取得して、定年後に通訳に転身しました。 このブログでは全国通訳案内士を目指す方をはじめ「英語✖️自分の好き・得意」で活躍したい⼈に有益な情報を提供していきます!